2007年12月23日日曜日

人に喜ばれるプログラム

「小飼弾のAlphaギークに会いたい[LIVE] with 伊藤直也」(以下、dan×naoya)のときにぼんやり思ったことを書き出してみる。

コンピュータは好きですか?


大好き。danさんが例に出したトランペット少年みたいな話で言えば、僕は近所のナショナルショップに置いてあったJR-100だかJR-200だかが大好きで、しょっちゅう店に入っては触っていた。もちろん店のおじさんはJR-100をくれたりはしなかったけど。これが小学校1年か2年ぐらい。ファミコンが大ブレークしたのもそのくらい。うちはファミコンは買ってもらえなかった。その後、友達の家でファミコンをするだけでなく、MSXを持ってる友達の家に行っては何時間もBASICプログラムを入力しているという時期があり、お年玉でMSX2(初代アシュギーネ)を買ったのが小5の時。それと前後してベーマガを買うようになった。
という感じなので、naoyaさんと同じく“特別な感情"があるのは間違いないのだけれど、さて、あたしなんで抱きしめたいんだろう?僕は何でコンピュータが好きなんだ?


もしかしたら、コンピュータが持っていた未来感や、マイコンという言葉に象徴されるようなDIY感が良かったのかもしれない。

――未来感


21世紀の予想イメージとかあったよね。コンピュータはそれに直結する感じがあった。画面やサウンドがしょぼくても。(いや逆にしょぼいくらいが興奮したりして。グリーンディスプレイとか、無駄にでかくて入力するとカラフルに光るキーボードとか。あれって映画やアニメにしか出てこないけど、大金持ちになったら自室につけてみたいなあ。おっと話がそれた。)あの頃はしょぼいとかそんなことは思いもしなかった。あのとき見た箱が未来だったように思う。

――DIY感 (あるいは、オレってばスゲー感)


僕はTK-80などのワンボードマイコン世代ではないので、自分で半田付けして作るという意味ではなくBASICプログラムの話だ。でも自分で何かを作らないと何にも動作をしないという点では同じだ。もちろん最初はプログラミングなんて知りもしないから、何かに載ってるプログラムを見ながら入力した。RUNで実行し、エラーが出たら直してまた実行。思い通りに動作すると嬉しい。その一連のプロセスは、コンピュータを自分で動かしているという感じを強く与えた。僕は動くおもちゃや組み立てるおもちゃが幼少の頃から好きだったから、自分で組み立てて自分で動かすコンピュータも同じ感覚で好きになったのだと思う。それに当時は、BASICのゲームプログラムがたくさんあった。最先端のファミコンゲームのようなものがすぐに作れるわけではもちろんない。(それを期待してプログラミングを始めようとした友人たちは挫折してやめていった。)とはいってもちょっと昔のゲーム(cf. カセットビジョンの「与作」)のようなのは作ることができた。それもDIY感を受けた理由なのかもしれない。


まあ上に書いたようなことは個人的資質による個人的体験なので一般化はできないのだけど、でもプログラミングが好きな人を増やすにはDIY感って有効だと思う。問題は、「自分で作って自分で動かす」と「嬉しい」との間のギャップ。僕のように「動かすことが快楽」みたいな人だけではないので。理想は「身近な人・周りの人に喜んでもらえる」なんだけど、これこそ難問。どうすればいいんだろうね?

プログラマーのメイクマネー


お金を得るというのは、人を喜ばせたり幸せにしたりした結果だと思う。じゃあ、上ともつながるのだけど、プログラミングさえしていれば人を喜ばせたり幸せにしたりできるのか?というと、これは必ずしもそうとは言えない。
すごいプログラマーがすごいコードを書いて有名になってお金も得た、そんなプログラマーがいたとして、たぶんプログラミング能力がすごいからじゃないんだよね。人を喜ばせたり幸せにする何らかの方法を思いついたことが重要だと思う。もちろん、その方法というのはプログラミング能力がすごいからこそ思いつくことができたのかもしれないし、あるいは、プログラミング能力がすごいからこそ思い付きを形にできたのかもしれない。だからといってプログラミング能力がお金に直結しているわけではない。(しいて言えば、アイディアは旧知で、何人ものプログラマーが実装に挑戦したが誰も実現できなかった、そんなものを作ることができればお金になるかもしれない。でも、人を喜ばせたり幸せにする方法の中に、そんなのがどのぐらいあるのか?)


一言でまとめ


だらだら書いたけどとりあえずまとめ。プログラミングで人に喜んでもらう方法をみんなで考えようぜ。以上!

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